男女でそれぞれでカップめんを食べるバージョンがあり、男性は残業中に一息つく時、女性は家でドラマを観て泣きながらというシチュエーションで食べています。
Twitterでは主に女性の方のCMにおいて、麺をすするときのカット割りや表情の演出が性的に表象的過ぎはしないかというのが槍玉に上がっているように思います。
次いでに、男性が仕事、女性は家という古典的なステレオタイプに、CMを作った/作らせた側の無意識の(ジェンダー)バイアスがかかっているのではないかという指摘も。
CMという媒体において、ある種のわかりやすさ、受け手側の共通認識は多いほうが受け入れやすいものではあるので、Twitterで言われているような指摘は枝葉末節の話に過ぎず、強い言葉で言えば難癖をつけているという反論も非常に多く見受けられ、ある意味でよく見る光景ではあるなと思うところではあります。
特に前者の事柄については定期的にTwitterで上がってくるトピックでもあるので、敢えて私がここで言及するよりは、より分かりやすく解説できる識者の方に任せることにします。
後者の男性/女性像のあり方の無意識的な発露は個人的にも気になっていて、このCMも男女で同じシチュエーション(同僚の男女が残業中にカップ麺を食べる/部屋で男女のカップルがドラマを観た後にカップ麺を食べる)でも良かったのではないかとも思うところです。
CMを作った側も、男女でそういうシチュエーション分けはごく当たり前のことで、特に違和感を覚えていなかったということなのでしょう。
もう既に何十年と続いていることでもあるので、それが当たり前になっている側面もあり、意識的に変えてみようと思わなければ恐らくずっと同じように続けられるのだろうとは思います。
それもそれで安心感というか安定感につながって、CMとしても親しみやすさを感じるようなものになるのでしょうが、男/女らしいシチュエーションから、私らしいシチュエーションで作っていくのもいいのではないかとも思います。
これも、こういうこと言うのは後出しジャンケンで卑怯な物言いだと言われればそれまでではありますがね…。
…このCMで黒い豚カレーのバージョンも作ってくれないかな。個人的に赤と緑よりこっちが好きなもので…。

―時にはもっと私らしく 風を感じたい
【関連する記事】